人と競争するための勉強ではない、みんなと一緒に幸せになるための
「ほんとうの勉強」が浦和明の星女子にある

浦和明の星女子中学・高等学校

カナダの聖母被昇天修道会を教育母体とするカトリックミッションスクールの浦和明の星女子中学・高等学校。校訓「正・浄・和」を理念として、キリスト教的人間観に基づく教育を行い、来年創立60周年を迎える。英語教師として同校に赴任してから40年、教頭、副校長などを歴任し、今年4月に中学校長に就任した小磯敦先生に、同校の理念について聞いた。


―明の星に入学した生徒に、どんなことをお話しになりますか。

「もう人と競争する勉強はおしまい、みんなと一緒に勉強するのが、ほんとうの勉強だよ」と話しかけます。

中学受験が過熱し、子どもの心がすり減らされていると感じます。学校説明会の質問コーナーで相談を受け、「お子さんに無理をさせているのですね。明の星では違う世界が待っていますから、ほんとうの私として生きることの意味を一緒に学びましょう」とお話しすると、保護者の方が涙することもあります。親が無理させていることに気づいていれば大丈夫ですが、それさえも気づいていないと、子どもはつぶれてしまうのです。

人の価値を偏差値で測るような中学受験の世界に浸かっていた子が、ほんとうの私として生きることに気づいていく。そこは、私は性善説に拠っているのですが、生徒が正しい生き方を求めていると信じることが大切だと思っています。そのことこそ本校の校訓「正・浄・和」です。

―「正・浄・和」とはどんな意味でしょう。

本校に来てから何十年も、「正・浄・和」を自分のものとしてとらえようと、生活の中や、本や音楽など、身近なことに落としこんで考えてきました。

カトリックという言葉には、普遍的な、すべての人に関わる、という意味があります。つまり、信者かどうかにかかわらないのです。聖書の言葉を語っても生徒にはなかなか伝わりません。そこを歌や本なども活用して、具体的なエピソードに翻訳するのが私の役目と考えています。

「浄」は「ありのままの私」ということです。槇原敬之さんの『世界に一つだけの花』も、人と比べなくていい、ありのままの自分でいいという意味の歌詞で、多くの人から共感を得ています。

法政大学名誉教授の佐貫浩さんも一連の論文(※1 )の中で、他者と比べることは意味がない、と指摘しています。例えば、障がいを抱えている人が活躍しているのは、ほかの力を一生懸命磨いたからです。人間は唯一無二の存在で、それぞれに個性があり、長所を伸ばせばいい。一方で、人より優れているからいい、人より個性的ならいい、と比較軸で評価するなら、最終的に評価される人は世界に一人だけになってしまいます。誰にでも弱さや短所はあります。明の星では、弱さをかかえていても大丈夫だから一緒にやっていこう、いろんな自分がいてそれは全部OKだよ、と言ってあげたい。

―明の星の温かい雰囲気はそこからくるのですね。では「正」と「和」は何でしょうか。

「和」とは、「互いに助けあって」という意味です。平井堅さんの曲『キミはともだち』の歌詞によく表れています。仲間が大切、そばにいてくれるだけで十分だよ、という歌です。

ヒトの共感性についてのある実験では、1歳半ほどの赤ちゃんでも、大人が両手に荷物を持って扉の前で立ち往生していると、自分から歩いていって、扉を開けてあげます。チンパンジーで実験をしても同じです。群れで生きる霊長類は、向社会性(報酬を期待せず他者に恩恵を与える自発的な行動)や利他性があるといわれています。

東日本大震災が起きたとき、ヨーロッパで行われていたサッカー欧州選手権では、ドイツ代表の観客席に日本語で「私たちは日本の皆さまと共にいます」と横断幕が掲げられていました。心を寄せてくれるだけで、私たちは元気をもらえますよね。

このように「和」は人に自然に備わっていますから、照れずにやればいいのです。では「正」とは何か。それは、「浄」と「和」の帰結としての正しい生き方です。

庄司薫さんの小説『赤頭巾ちゃん気をつけて』(※2)のなかで、主人公の高3の男子が、東大法学部に通う兄に何を勉強しているかと聞くと、兄が「要するにみんなを幸福にするにはどうしたらいいのかを考えているんだよ」と答えるシーンがあります。ここに、人間が社会的に生きていくうえで、他者を幸せになるようにするのが「正」の一つのあり方、正しい生き方なのだと示されていると思います。

ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルは、「倫理資本主義」を唱えています。世界がパンデミックに襲われたとき、店を休業し、学校を休校するなどさまざまな行動がとられました。ガブリエルは、それは社会的に弱い人が困らないように道徳的に優れた行為の結果だ、といいます。これも「正」といえるでしょう。

私はその「正・浄・和」を生徒たちが実践していることに感動を覚えます。例えば、スポーツデー(体育祭)の全員リレーです。走るのが苦手な子もいるのに、誰ひとり手を抜かず、足が遅い自分をさらけだして(浄)、みんなのために走って誰に対しても応援する(和)。「正・浄・和」そのものを、生徒たちは生きているのです。

何のために勉強するのかといえば、それは、自分もみんなも幸せにするためです。人を幸せにしない職業は一つもありません。誰かの役に立って、誰かを幸せにしています。そのために、明の星では「ほんとうの勉強」をします。

―どんな勉強や取り組みをしているのでしょうか。

それぞれの先生が本校の理念のもと、工夫をこらした本質的な授業を行っています。国語ではディベートを行い、理科では実験レポートを重視した指導をし、保健体育では「生と性」の調べ学習をするなど、よく考えられた授業です。課外講座では、外国人研究者から英語で宇宙物理学を学んだり、出生前診断について学んだりするなど、高度で答えのない問題に取り組む機会もあります。

こうしたなかで、生徒は自然に自ら学ぶ姿勢を身につけていきます。行事や部活動などにも自ら一生懸命に取り組んでいます。部活動では百人一首部が全国大会優勝したり、クリスマスには生徒たちがボランティア活動をしたりしています。

世界中で格差が広がり、社会が分断していくなかで、本校で「正・浄・和」の生き方を身につけることは、ますます重要になっていくと思っています。本校の理念に少しでも心が動いたなら、ぜひ一緒に学んでいきましょう。

1『個性論ノート』佐貫浩 法政大学キャリアデザイン学部紀要

2『赤頭巾ちゃん気をつけて』庄司薫 新潮文庫

取材日:2025.6.5